道徳科 授業開きの考え方とアイディア

4月を迎えると、担任としていろいろな「○○開き」を考えて実践すると思います。「学級開き」はもちろん、各教科の「授業開き」も大きなウエイトを占めているはずです。その年の最初の授業として授業開きを位置づけるのですが、その意図はどのようなものなのでしょうか。各教科の特質をふまえ、その教科の学びの作法とでもいうべきものを、子どもたちとともに確認していく営みが授業開きの目的だと言えるでしょう

 では、道徳科の授業開きについては、どのように考えればよいのでしょうか。私は数年前まで、4月1か月の授業3回を使って、道徳科の学び方を体験しながら子どもたちと教師とで共有していました。「最初はこんなことをみんなに尋ねるところから授業を始めるよ」とか、「教材の感想交流は相互指名でお願いね」など、具体的な問いや活動を提示しながら、道徳科の授業のベースとなる骨格に対する共通了解をつくるようにしていました。この営み自体は現在も行っています。特に低学年~中学年の場合は、このやり方が適していると思います。ただ、この2~3年は、4年生以上の上学年を担任してきたこともあって、「道徳科の学びの作法の確認」を授業開きと位置付けてはいません。その前に、子どもたちと共有すべきことがあるではないかと考えるに至ったからです。

 上学年以降の道徳科の授業開きで最初に確かめたいことは、「道徳的価値観は、子どもたちそれぞれの学びや生活経験によって多様に形作られたものであり、その多様さを認め、それぞれの違いを尊重することが、心豊かな社会を築く基盤となる」ということです。そしてこれは、道徳科の学びの本質とでもいうべきものだと考えます。子どもたちのもつ多様さを、子どもたち自身が互いに保証し合うという学びの姿を体感してもらうことこそ、道徳科授業の「はじめの一歩」としたいと思うのです。

 では、この学びの本質を体感することを、どのような形で具現化すればよいのでしょう。私は、「目玉焼き」を題材にした授業を試みています。
この題材は、私の完全オリジナルというわけではありません。大学院時代に社会科教育学の講義の中で、「歴史学習をスタートするにあたって、歴史認識とはどのようなものかについて、学習者が自覚的に捉えることのできる授業モデルを考えよ」という課題について考え、担当教官から示唆をいただいたものを雛型としています。以下、この授業モデルについて概説します。

 まず、学級の子どもたちの中で、アレルギーなどで卵が食べられない子がいないかどうかを事前に確認しておきます。(もしひとりでもアレルギーの子がいたら、後述する別の題材にかえて授業の準備をします)
そのうえで、子どもたちに「道徳の学習で大切なこと」という3つの枠だけが書かれたワークシートを配布します。そして、

・みなさん、これまでに目玉焼きを食べたことがありますか?『これが私の思う目玉焼き』と思うものを、イラストに描いてください」
・イラストが描けたら、『①焼き方』、『②食べるときに使う調味料』、『③その他のこだわり』をイラストの横に書いてください」

と指示します。子どもたちは、「道徳の時間に目玉焼き?」と思いながらも、徐々に嬉々としてイラストと説明をかき始めます。
イラストや説明をある程度かき終えたら、

・では、みなさんの目玉焼きについて、意見を交流してみましょう。まずは、焼き方についてです。みなさんのイメージする目玉焼きはどんな焼き方ですか?」

と問います。最初の子は「いや、普通に焼きます」といったことを答えるでしょう。そこで、

・黄身や白身の焼き加減はどうですか?

といった問い返しをします。すると、「わたしはどちらも固め」、「ぼくは、白身は固めで黄身は半熟くらい」、「黄身はトロっとした方がいいな」、「白身はまわりが焦げ始めるくらいまで焼く」といった意見が出始めます。そこで、

・目玉焼きを両面焼くっていう人はいない?

と尋ねます。すると、学級に1人くらいは、そういう子がいます。まわりの子どもたちは思わず「えっ?」という反応を返すでしょう。そこですかさず、

・そうなんだよね。目玉焼きを片面だけ焼くのが普通と思っているかもしれないけれど、実は欧米では両面焼く方が一般的なんだと聞いたことがあるよ。片面だけ焼くのは「サニサイドアップ」、両面焼くのを「ターンオーバー」というそうだよ。両面焼く人もいるって、なんだかすてきだね。

と反応を返します。子どもたちは、自分がイメージしていた目玉焼きが、焼き方ひとつとっても様々にあることに興味を抱きます。そして、「焼き方ひとつをとってもこれだけいろいろなら、味付けは……」という思いを抱きます。そこで、

・では、味付けはどうなんだろう?なるべくいろいろな人と意見交流をして、自分とは違う味付けをたくさん見つけてごらん。

と話して、子どもたちが互いの意見を自由に立ち歩いて交流する時間を設けます。子どもたちはたくさんの人と意見を交流し、「ぼくとはちょっと違うな」、「それっておいしいの?」など、互いの違いを楽しみながら意見を交流し、ワークシートに書きこんでいきます。10分程度時間がたったら、自分とは違う味付けを全体に紹介する時間を取ります。
「先生はどんな味付けですか?」と、子どもたちから聞かれることもあります。その時には、「半熟の黄身をくずして醤油を少しかけた後、七味を“えっ!”と思うくらいふりかけます」と答えます。「えーっ!」という多くの子たちのなかにも、「意外においしいかも」と共感してくれる子がいたりします。そして最後に、

・今日の授業を通して、「面白い」、「楽しい」と感じたのはどんなことかをワークシートに書いてみよう。

と指示します。子どもたちのなかに「友だちとのいろいろな違いが見えて楽しかった」と、題材としての目玉焼きから離れて授業の本質に迫ろうとしているものがあれば、それらを紹介して授業を終えます。
もしも、題材としての目玉焼きの印象が強すぎたと感じた場合には、教師から最後に次のような願いを話して終りとします。

「今日は、先生が道徳の授業で大切にしたいと思っていることを、みなさんに体験して感じてほしいと考えて授業をしました。みんなが同じだと思っていたり、当たり前だと思っていたりすることも、人によっていろいろだということ。そのいろいろな違いを面白いって感じながら話をすること。私は、今日の授業のみなさんの姿を、これからの道徳の授業でも大切にしていきたいと考えています。」

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 この授業の教師の言葉かけや子どもたちが取り組む活動には、普段の道徳科の学習で取り組む要素がほぼ含まれています。道徳科の授業開きでは、これからの授業の羅針盤となる学びの作法を、大胆に、しかし本質を外さないで子どもたちと共有することが大切だと考えています。

※アレルギーで卵が食べられない子どもさんが学級に在籍していた場合、「おにぎり」を題材にすることも考えられますし、「ベートーベンの交響曲第5番『運命』が、指揮者によって全く違うもののように演奏される」という事実を題材にしたこともあります。参考まで。

道徳科 内容D「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」について考えてみた

 道徳科の内容は、A~Dの4つの視点で分類整理されています。その内容Dは、「主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること」として、「生命の尊さ」、「自然愛護」、「感動畏敬の念」、そして小学校高学年から中学校では「よりよく生きる喜び」を加えた内容項目で構成されています。自己を生命や自然、美しいもの、気高いもの、崇高なものとの関わりにおいて捉え、人間としての自覚を深めることを意図しています。


 この内容Dに関して、実際の教育現場での指導の難しさを指摘する声を聞くことが多いです。内容そのものが実感的に捉えにくいためか、児童生徒の問題意識を喚起しづらい教材が散見されることも、その要因の一つだと考えられます。そのうえで、ここではその問題をもう一段階掘り下げて、「学習指導要領において、内容Dを3つ(ないしは4つ)の内容項目に分節して示していることが、教育現場における授業実践において妥当だといえるのか。(教材の不自然な構成や自由度を下げる結果となってはいないか)」という視点から考えてみたいと思います。

 

 まず、D19(本来はこのような表記はしないことは承知してはいます)「生命の尊さ」は、「生命あるすべてのもの」を尊重し大切にすることが意図されています。(解説編p.64)ここで留意しなければならないのは、この内容項目が「人間の生命の尊さについて考えることが中心」とされていることです。つまり「生命あるすべてのものをかけがえのないものとして尊重する」その射程は、人間存在としての自己及び他者までなのです。

 

 次に、D20「自然愛護」は、自分たちを取り巻く自然環境や動植物への愛護に関するものとされています。つまり、動植物の生命についてはこの内容項目の範疇とされているのです。ここでは、動植物の生命は「愛護」の対象とされている。「愛護」とは、「かわいがって大切に庇護すること」です。「庇護」とは、「かばい守る、いたわり守ること」であり、そこには、人間が他の動植物の生命を守る存在であるというスタンスが見え、特に「愛護」という言葉からは、人間と動植物との生命とが明確に線引きされ、人間の生命を他の動植物の生命より一段高く位置付けているといえます。その一方で、「偉大なる自然の前に人間の無力さを見せつけられる」ことや、「人間も自然の中で生かされていること」などにも言及されています。

 

 そして、D21「感動、畏敬の念」は、美しいものや崇高なもの、人間の力を超えたものとの関わりに関することとされています。具体的には、文学や絵画・造形、音楽などの芸術作品に加え、大自然の摂理や人間のもつ心の崇高さにまでその射程が及んでいるのです。そして、これらとの関わりを通して感動や尊敬、畏敬の念を深めることにより、人間としての在り方をより深いところから見つめ直すことが意図されています。

 

 さらにD22「よりよく生きる喜び」は、よりよく生きようとする人間のよさを見出し、人間として生きる喜びを感じることに関することとされています。道徳科への移行までは、中学校の学習指導要領のみに規定されていた内容項目です。人間存在の内面的な弱さを認めつつ、自己の良心に従って生きる誇り、他者から受ける愛情、よりよく生きていこうとする強さや気高さなどを理解することで、人間のすばらしさを感得する深い喜びであると示されています。

 

 これらの内容項目を概観すると、それぞれが一定のつながりをもっていることがわかります。そのつながりは、現実の社会における諸問題においては、連関もしくは対立する構造であり、不可分なものとして提起されることで初めて機能すると考えられるものです。
 にもかかわらず、これらの内容項目を単独で考えることを前提とするから、教材も扱いにくいものになりますし、授業も決まりきったようなことを言わせるようなものにしかならないのでしょう。殊、内容Dに関して言えば、(他の内容も同様だと考えてはいるが)一つの内容項目ごとに分節するのではなく、内容Dの内容項目を連関させた教材や授業を構想することが必要ではないかと考えます。

生命ひとつをとっても、D19「生命の尊重」とD20「自然愛護」とで、人間と他の動植物の生命とを機械的に分け、それぞれの内容について単独に学習を展開しようとするから、児童生徒の納得解を醸成することが難しくなるのではないでしょうか。むしろ、「人間の生命と他の動植物の生命と、等しく大切にすると言っても、『尊重』と『愛護』の違いを生んでいるものは何か」や、「その違いは何をもって線引きされたものか」、そして、「人間も他の動植物と同様に、他の生命を自らの生命をつなぐために用いらざるを得ない存在であることの自覚に根ざした生命に関する倫理観」などについて、現代社会に状況や課題に照らして考えることが、内容Dについて考え議論する道徳としての意味ではないかと考えます。

絵本と道徳科の教科書教材について

道徳科の教材で絵本もあるというものがよくあります。と言いますか、道徳科で有名教材と呼ばれるようなものは、結構絵本が原典のものが多いのです。『泣いた赤おに』などですね。

 

ここからは、木原の拘りです。もちろん異論はあるでしょうが...


もし、私が道徳科の学習で絵本そのものを使うとしたら、普段の学習で考えるような「現実の世界に照らして...」といった指導過程にはしません。絵本の世界にドップリと浸り、心情の共感的な理解を深めていく授業展開にします。1冊の絵本に込められた作者の思いに共感し、「僭越ながら」の思いで道徳科の教材として活用させてもらうわけです。主客で言うなら、絵本作品が主なのです。くどくどと世界観をねじ曲げるような問いなど野暮の極みですし、絵本という作品への敬意を欠いた態度でしかないと考えます。

 

一方で、道徳科の教材として教科書に取り上げられている場合は別です。道徳科の教材となった段階で、道徳科の教科書に編集し直した教材作成者の思いを汲む必要などないと考えます。教科書教材は、道徳科の目的を達成するために効果的に活用されるべきものとして掲載されており、絵本作品から表現などを変えたり、短くしたりされています。道徳科の教材としてあることが最優先されていますので、そこに作品性は求めるべくもありません。ましてや、教科書教材作成者の「教材に込めた思い」など忖度する必要はないです。主客で言えば、構想される学習こそが主なのです。これは、教科書教材作成者の端くれとしての、私の矜持でもあります。ですから、絵本がもととはいえ、教科書教材では「あえて現実の世界に照らして考える」展開とします。それが、教材を最も活かす可能性があると判断するからです。

 

絵本と教科書教材
同じ作品であっても何をどう用いるかによって、自ずから学習の構想も指導の方法も異なってくるということに心を致す教師の感性は大切にしたいものです。

教材研究のポイント⑤ 教材に対する理解を深める

 教材がもつ意義と意味をふまえて授業を構想するためには、単に教材文を読むだけではなく、その教材の背景にあるものや社会との関わり、歴史的な事実などをふまえ、教材そのものへの理解を深めることが重要です。

 この指標における最初のレベルは「教材に示された事象やその背景を知る」ことです。例えば、「いのりの手」や「小川笙船」など、実話や具体的な人物をもとにした教材の場合、その教材のもつ事実や背景を知ることが、教材に対する理解を深める第一歩となります。
 また、「泣いた赤おに」や「花さき山」など、絵本や物語をもとにした教材においては、元の物語がどのように編集され道徳科の教材となっているかを知ることで、効果的な活用の在り方について考えることができるでしょう。
 さらに、「手品師」や「おかあさん(ブラッドレー)の請求書」など定番とされる教材は、これまで蓄積されてきた教材についての情報や、原作者が教材に込めた思いなども知ることができます。

 私たちが教材と向き合おうとするとき、その教材に関する情報が少ないほど、教材解釈と分析が、教師の意識と体験に依拠しすぎてしまう傾向があります。しかし、教師による教材の一面的な見方は、子どもたちに教師の見方や考え方を押し付ける結果を招きかねません。子どもたちの多面的・多角的な見方を保障するためにも、教材に対する多様なアプローチによる理解を深めたいものです。

 そのうえで、社会で規定されている法やきまり、教材に取り上げられた人物や事象の詳細などの客観的事実に基づいた理解を深めることが、レベルアップのポイントです。
 ここで留意したいことは、教材についての解釈を、教材作成者の主張のみにとらわれないようにするということです。教材作成者が教材に込めた思いを知ることには、一定の意味があります。しかし、その見方を絶対視して、教材解釈やその活用の在り方まで限定してしまったのでは、道徳科の学習の新たな形式化や形骸化を招きます。

 例えば、「雨のバス停留所」では、軒下で雨宿りをする人たちの列が、バスを待つ並び順だとする場面が提示されます。しかしこれは暗黙の了解というべきものであり、きまりやルールは存在しません。にもかかわらず、この教材では、その場の空気を読んで行動することが善とされています。さらに、この暗黙のルールを、母親が無言の圧力で主人公に感じさせようとします。教材が示すこれらの状況に、教師が問題意識をもって考えることが、教材を効果的に活用するための新たな可能性を開く場合もあるのです。

 「この教材の作成者は、こういう思いを込めている。だから、この指導法でなくてはダメだ」という話を、これまで幾度となく聞いてきました。教材に示された状況に疑義をはさむことが許されないとすれば、どうして子どもたちの多様な考えを保障するような授業ができるでしょう。私も教科書教材の作成者のはしくれとして、「一度教科書の教材として掲載された以上、それがたとえ批判的な活用であろうと。授業者と子どもたちがどのように活用してくれてもかまわない」という思いをもっていますし、それが教材作成者の矜持だろうと思うのです。

 教材についての見方を狭めるのではなく、広げていくための教材研究によって、道徳科の授業力は向上するでしょう。

教材研究のポイント④ 児童生徒の実態を把握する

 みなさんが学習指導案をどのような過程で作成していくかについて、思い出してみてください。どの教科の学習指導案も、最初に主題設定の理由を書くと思います。そして、その項目のひとつに、必ず「児童の実態」を書くのではないでしょうか。

 

 授業とは、「子ども」、「教材」、「教師」の三者の相互作用による営みによって成立します。ですから、教材に対する教師のアプローチは、子どもたちの学びの様子や道徳性に関する実態と、密接に関連する必要があります。
 子どもたちが学習するということは、教材として提示される問題を解決していく営みそのものです。教師は、子どもたちに提示する教材を吟味し、解決すべき価値ある問題として提示します。そして、各教科・領域における学び方を通して、子どもと教材との相互作用を取り持つという役割があります。

①「子ども」と「教材」の関係
 教師は、目の前にいる子どもたちの実態をもとに、「この教材を取り上げたら、子どもたちはどのような反応を示すのか」や、「この問いを提示したら、どのような思考を展開し、いかに課題を解決するための筋道を構成するのか」などを十分に予想し、検討することが大切です。そうすることによって、一人一人の子どもの思考の様相に応じた具体的な支援が導かれてきます。

②「子ども」と「教師」との関係
 学習の主体者である子どもたちが、これまでの学習でどのような見方・考え方を学び、それぞれの教科・領域における「学び方」をどのように身につけてきているのかなどを検討することが必要となります。
道徳科の教材研究においては、教材が示す道徳的問題に対して、子どもたちがどのようにアプローチしていくかを的確に見取ることで、発問や評価の質を高めることができます。ですから、この指標における最初のレベルは「本時の内容項目に関する子どもたちの実態を把握する」ことです。

 そのうえで、把握した実態をもとに、子どもたちに培いたい力として明確化していくことがレベルアップのポイントです。実態を把握するためには、日々の実態の見取りはもちろん、対人関係や内容項目に関する事前アンケートなども活用し、できる限り子どもたちの姿を客観的に把握することも有効な方法です。さらに、同じ内容項目での学習の様子や、その際の子どもたちの反応と課題なども明らかにしておくとよいでしょう。
こうして把握した子どもたちの実態をもとに、「子ども」、「教師」、「教材」の三者から導き出された授業像をもとに、教師が「どのような力を子どもたちに培いたいのか」を明らかにするのです。

 本時の授業の教育的価値や教材の構造,学習指導要領などにおける位置づけ,内容の系統性や困難性等などを明らかにし,教師として何を教えるかについての分析と考察を適切に加えたとしても,それが子どもたちとの授業場面に効果的に生かされなければ,それは絵に描いた餅となります。子どもたちに教材のもつ道徳的価値を獲得させるためには,教材と子どもたちとを有機的に関連づける方策を考え,授業の具体的な姿をイメージし、子どもたちに培いたい力として明確化する必要があるのです。

 単なる子どもたちの実態把握から、それを授業のなかでどのように生かすのかにまで思いを致すことで、確かな教師の授業観が構築されていくでしょう。

教材研究のポイント③ 他の内容項目との関連を考える

 教材の中心をなす道徳的価値について、その内容項目を階層的にとらえて多様な思考を保障するのが、「多面的な見方」とするならば、他の内容項目やそこに含まれる道徳的諸価値との関連から多様な思考を保障するのが、「多角的な見方」だといえます。
この指標における最初のレベルは「関連しそうな道徳的諸価値が含まれる内容項目を想定する」ことです。

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価値関連図


 例えば、「個性の伸長」の学習を構想したとき、その生き方を支えていた思いについて考えを深めると、「自分のよさを伸ばす」や「短所を改める」といった内容項目自体に含まれる道徳的諸価値の視点で多面的に考える子がいることが想定されます。
 一方で、「希望と勇気、努力と強い意志」や「感謝」、「よりよく生きる喜び」など他の内容項目を窓口にして「個性の伸長」の根源にあるものを見出そうとする子もいます。これは、子どもたちが内容項目を多角的に見つめたことによるものです。

 本時の中心となる内容項目に対して、どのようにアプローチすれば自分らしい在り方として体現できるのかを考えるとき、その内容項目と他の道徳的諸価値と連関させれば、「こう考えれば自分の生活にも生かせそうだ」という行為の可能性がより広がることになります。結果として、実践意欲と態度も含めた道徳性の育成を促すことが期待できるのです。

 

 そのうえで、教材の提示する道徳的問題と、具体的にどう関連するかについて検討を重ねることがレベルアップのポイントです。ここでいう検討とは、道徳的諸価値の関連について、教材の独自性をふまえて分析することです。教材によっては、中心となる内容項目が同じであっても、関連する内容項目までが同じになるとは限らないのです。
例えば、「あこがれのアナウンサー」と「お魚大好き、さかなクン」で考えてみましょう。この2つの教材は、どちらも4年生で扱うように作成されており、中心となる内容項目も「個性の伸長」です。

 「あこがれのアナウンサー」の教材文を読むと、主人公の「個性の伸長」を支えていた思いが「希望と勇気、努力と強い意志」との関連することが明確に想定できます。一方、「お魚大好き、さかなクン」では、さかなクンの「個性の伸長」は「真理の探究」や「自然愛護」との関連が深いと考えられます。この違いは、教材が取り上げた事象や人物像のちがいによるものだといえます。


 このように、教材を中心において、道徳的諸価値の関連を把握することが、子どもたちを多角的な見方や考え方へと誘うために重要なのです。

教材研究のポイント② 本時の内容項目を理解する

 道徳科の教材研究をするうえで、本時の中心となる内容項目と、そこに含まれる道徳的価値についての理解を深めることは、必須条件です。


 ところで、内容項目と道徳的価値とのちがいについて考えたことはあるでしょうか。『学習指導要領解説 特別の教科 道徳編』では、内容項目は、「児童が人間として他者とよりよく生きていく上で学ぶことが必要と考えられる道徳的価値を含む内容を、短い文章で平易に表現したもの」とされ、道徳科の学習で扱う内容を示した項目のことをいいます。つまり内容項目は、その内容にかかわる様々な道徳的諸価値を包含したものなのです。

例えば内容項目「感謝」は、「感謝」、「尊敬」、「報恩」といった道徳的諸価値によって構成されています。また、道徳的価値に関わる対象も「家族」、「高齢者」、「過去からの多くの人々」といった広がりをもって規定されています。そして、これらの道徳的諸価値の側面は、発達段階に応じて提示されています。学年が上がるにつれ、道徳的価値についての見方が深まったり広がったりするのは、このためです。

 この指標における最初のレベルは「中心となる道徳的価値を的確にとらえる」ことです。内容項目には、「正直、誠実」や「節度、節制」など、内容を端的に表す言葉を付記したものが見出しとして記述されています。そのため、見出しを読んだだけで内容項目を把握した気分になってしまいがちです。しかし、内容項目に含まれる道徳的価値は、低・中・高学年によって異なるのですから、学年に応じてどこまでをねらいにし、どのような学習を構想するかということは、学習指導要領もしくは解説編を読まなければ、簡単にはわからないのです。

 

それぞれの学年に求められる内容や道徳的価値を確認したうえで、そこに含まれるいくつかの道徳的諸価値から内容項目を多面的に見ることが、レベルアップのポイントとなります。教材の中心をなす道徳的価値について、内容項目に含まれる多面的な側面から、本時の学習で求めたい見方や考え方を見つめることで、道徳科の授業力の高まりが期待できます。

 ここで求められるのは、ひとつの内容項目を、低学年・中学年・高学年・中学校という具合に縦に見ることです。そのうえで、外してはならないポイントを確実に見出せば、子どもたちがどの側面から中心となる道徳的価値に迫ろうとしているのかを明らかにすることができます。内容項目の中での道徳的価値の深まりを、階層的に見ることが、子どもたちの多面的思考を学習の中で保障することにつながります。

 

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