3 次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造 (2) 学習テーマによって内容項目を関連させる構成
3 次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造
(2) 学習テーマによって内容項目を関連させる構成
年間35時間という限られた授業時数を内容項目単独で実施しつつ、道徳科の基盤に据える「人権と生命の尊重」と個別に関連させることは、可能ではあっても現実的な手法とは言えません。そこで、「人権と生命の尊重」と各教材の内容項目とを「学習テーマ」でつなぐ構成を提案したいと思います。
① 「点」の学習から「線」の連関へ:生命・人権を軸とした道徳科の再構築
現行の小学校高学年における道徳科は、22の内容項目を年間35時間で網羅することが求められています。しかし、各項目を独立した「点」としてバラバラに扱う現状の指導体制では、多忙な教育現場において、一つひとつの価値を「生命や人権」という根源的視点にまで深めることは極めて困難です。
本来、道徳科が目指す「よりよく生きるための基盤」とは、個別の徳目の羅列ではなく、それらが互いに響き合い、一つの人格を形作る有機的な連関の中にあります。例えば、「友情」や「親切」は他者の生命と尊厳を慈しむ心から生じ、「規則の尊重」や「公正・公平」は、全員の人権が保障される社会を維持するための手段として存在します。

22の項目を個別に消化すべきノルマとして捉えるのではなく、「生命と人権の尊重」をすべての中心に据えることで、各項目はこの共通の根幹から伸びる「枝葉」として再定義されます。この連関性を重視したカリキュラム・マネジメントへの転換こそが、限られた授業時数の中で、断片的な知識ではない「生きる力」としての道徳性を育む鍵となります。
生命と人権をすべての前提とすることは、22の項目をバラバラに教える負担を減らし、道徳教育に真の統合性と一貫性をもたらすための、最も合理的かつ本質的なアプローチなのです。
この構造図の意図について、もう少し解説を加えてみたいと思います。
② 構造図の最下層:揺るぎない「普遍的基盤」の確立
図の最も下に位置し、すべての教育活動の「前提」として示されているのが、「生命と人権の尊重」です。この配置こそが、次期指導要領案の最も重要な主張であり、道徳科における指導のあり方を根本から変えることを意味します。
(ⅰ) 基盤設定の必然性
現代社会は、価値観や生活様式の多様化が不可逆的に進展しています。人種、国籍、宗教、性的指向、経済状況、能力の差異など、あらゆる「ちがい」を持つ人々が共存する社会において、多様性を尊重し、共に生きるための共通認識、すなわち普遍的な倫理的規範が必要です。この規範こそが、「生命と人権の尊重」であると位置づけられています。
従来の指導では、「人権」に関する価値は、内容項目の一つとして他の価値と同列に扱われがちでした。しかし、この構造案では、「生命と人権の尊重」を教育の基盤とすることで、他のすべての道徳的価値(例えば、「友情、信頼」や「規則の尊重」など)の学習も、この人権という倫理的な土台の上で考察されることが保証されます。
(ⅱ) 倫理的な土台の確立
この基盤の確立は、道徳的価値に関する学習を、特定の道徳観の押し付けや注入に陥る危険性から解放する効果を持っています。児童は、人権という普遍的価値に照らし合わせて、ある行動や考え方の是非を多角的に考察することが求められます。もし、特定の価値観の追求が他者の生命や人権を侵害するものであれば、それは倫理的に許容されないという、絶対的な基準が教室に持ち込まれることになります。これは、児童が自ら考えることを深め、多様な意見を尊重しつつ、よりよい在り方を求めて探究する学習の安全な足場を提供します。
③ 構造図の中間層:教育的媒介としての「学習テーマ」
普遍的な基盤と、具体的な学習内容を結びつける役割を担うのが、図の中央に位置する「学習テーマ」です。これは、構造図において最も革新的かつ実効性の高い要素であり、道徳科の授業構成を劇的に改善する鍵となります。
(ⅰ) 導入の背景:単一価値学習の限界
道徳科は年間35時間という限られた時数で、非常に多岐にわたる内容項目を指導する必要があります。従来の指導計画では、限られた時間の中で、一つ一つの内容項目を単独で扱い、さらにそれを抽象的な「人権と生命の尊重」に結びつけて指導するという、非現実的な負担が現場の教師にかかっていました。結果として、個々の価値がバラバラに指導され、それらが複雑に関連し合う現代社会の課題に対応できる統合的な思考力が育ちにくいという課題がありました。
(ⅱ) 複数価値関連統合型の実現
「学習テーマ」は、この課題を解決するために導入されます。 学習テーマは、指導要録の「行動の記録」といった、児童の日常生活における具体的な行動や態度を骨格とし、それを「気持ちのよいふるまいって?」「人を大切にする気持ちって?」といった、児童の内面に問いかける形で言語化されます。
この学習テーマが、複数の内容項目(例:「親切、思いやり」「友情、信頼」「相互理解、寛容」など)を一つの傘の下に束ねる役割を果たします。これにより、教師は、単一の価値に固執することなく、一つのテーマから複数の道徳的価値を関連付けて統合的に扱う、「複数価値関連統合型の授業」を無理なく構想できるようになります。この統合的なアプローチこそが、複雑な事象を多角的に捉える現代的な思考力を養う上で不可欠です。
④ 構造図の上層:実践的な学習の実現
学習テーマを頂点として、それに関連する複数の「内容項目」(緑色の枠)が示され、さらにそれらの内容項目を学ぶための「教材の内容等」(黄色の枠)が配置されています。
(ⅰ) 価値の葛藤と当事者性の学習
この構造の重要な目的の一つは、児童に価値の葛藤を体験させることです。中・高学年になると、取り扱う課題は複雑化し、一つの問題の中に複数の道徳的価値が含まれ、それらが対立しているように見える状況(例:「個人の利益」と「社会の公益」の対立)が多くなります。
一つの学習テーマの下で複数の内容項目を扱うことが可能になるため、教師は、価値の対立や葛藤を内包する教材を積極的に取り上げやすくなります。児童は、抽象的な道徳的価値を知識として学ぶだけでなく、その価値と価値が衝突する現実的な場面において、「自分ならどうするか」という当事者意識(他人事ではいられない自己)をもって考えを深めることが可能になります。
(ⅱ) 授業構成の柔軟性の確保
この図は、次期学習指導要領において「一教材で複数の内容項目を取り上げることを可能にする授業構成の在り方」を明示することを求めています。これにより、教育現場は、児童の実態や社会の変化に応じて、教科書にある単一の教材に限定されることなく、より自由度が高く、多様な視点から構成された教材を選択・開発できるようになります。例えば、ニュースで取り上げられた時事的な問題や、地域特有の課題をプラスαの題材として取り上げやすくなり、学習の現実味と児童の興味関心を高めることができます。
⑤ 習得・活用・探求型学習への転換
総括すると、この図は、道徳科の学習を、他教科と同様の「習得・活用・探求型」の学習プロセスへと転換するための設計図です。
習得:普遍的な「生命と人権の尊重」を基盤とし、複数の「内容項目」の知識を関連付けて習得する。
活用:「学習テーマ」という問いを通して、習得した価値の知識を、複雑な教材(価値の葛藤を内包する課題)に応用し、他者との交流を通じて多角的に検討する。
探求:その結果得られた考えを基に、よりよい社会の実現に向けた自身の態度や生き方を追求する。
この新たな構造モデルは、道徳科の教育を、知識の伝達に留まらせることなく、自ら考え、他者と共に成長し、自らの未来を切り拓く児童像の実現に向けた、体系的で実効性の高い枠組みを提供するものと考えます。

次回、本編3「次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造 (3) 学習テーマの設定の方法と学習テーマの具体例」
3 次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造 (1) 道徳科の基盤としての生命と人権の尊重
3 次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造
(1) 道徳科の基盤としての生命と人権の尊重
次期学習指導要領では、「道徳科においては生命と人権の尊重を基盤とする」ということをすべての前提としたいと考えます。
これからの我が国において、様々な国際的な状況をふまえたとき、「人種や国籍、性別、年齢、宗教、価値観など、様々な属性を持った人々が共存している状態」が成立する社会が求められます。この社会的要請をふまえ、「多様性を担保したよりよい在り方や生き方」を求める次期学習指導要領においては、道徳科において、「人権と生命の尊重」をそれぞれの構成員の価値観の基盤に根付かせるように方向づけていくことは必須要件だと考えます。
① すべてを支える不可欠な基盤
次期学習指導要領における道徳科の指導において、「生命と人権の尊重」をすべての学習活動の前提とする、という提案は、現代社会が直面する課題解決と、真に「人間性豊かな」国民の育成という教育基本法の目標を達成するための、極めて説得力のある論拠を内包しています。道徳教育の目標が「自立した一人の人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うこと」にある以上、その「基盤」のさらに根源をなす価値として、生命と人権の尊重を明確に位置づける必要性があると考えます。
② 「生命の尊重」の根源的意義
まず、「生命の尊重」は、道徳的価値のすべてを受け止める根源的な価値です。自己の生命をかけがえのないものとして深く理解すること(自尊感情)は、他者の生命もまた同じように尊いものであるという認識(共感)へと直結し、共生への第一歩である言えます。
自分の「いのち」が多くの生命のつながりの中にあることを理解し、生きることの素晴らしさを実感することで、他者、動物、自然環境を含むすべての生命に対する自他理解が深化します。
いじめ、自殺、自然災害など、現代社会の「いのちの危機」に際して、この根源的な価値観が行動の最終規範となります。生命尊重を基盤とすることで、いかなる状況下でも生命の保持を最優先する倫理的な判断力を育むことができます。
生命の尊重は、究極的には「私たちは皆、生きている」という共通の事実に基づくものであり、すべての社会的な関わり、ルール、共生の精神を成立させるための土台だといえるでしょう。
③ 「人権の尊重」の規範的意義
次に、「人権の尊重」は、多様な他者と公正に共生するための普遍的な規範です。人権とは、人間が人間らしく生きるために不可欠な権利であり、これは時代や文化、個人的な価値観を超えて保証されなければなりません。
道徳的な問題には多様な見解が存在しますが、「自他の権利を侵害しない」という人権の原則は、その多様な意見の許容範囲を設定する役割を果たします。これにより、「何でもあり」ではなく、普遍的な正義に基づく議論と判断が可能になります。
人権尊重の精神は、性別、国籍、障害、経済状況など、あらゆる属性に基づく差別や偏見を克服する力となります。すべての子どもが「かけがえのない一人の人間」として認められる教育環境、すなわちインクルーシブな社会の基礎を学校教育で築くことができます。
人権を尊重する態度は、自らの権利を主張する自律性だけでなく、他者の人権を守る義務と責任を重んじる社会連帯の精神を育てます。これは、民主的で平和な国家・社会の形成者として主体的に参画する資質・能力そのものです。
④ 統合的指導の必要性
「生命の尊重」と「人権の尊重」は、道徳科における個別の「内容項目」を超えて、指導全体を貫くべき理念です。これらを基盤とすることで、以下のような統合的な指導が可能になります。
・ 価値の有機的連関
例えば、「親切、思いやり」の学習は、他者の生命(心身の健康)を大切にし、その人権(尊厳)を侵害しない行動として捉えられます。「公正、公平、社会正義」の学習は、すべての人々の生命と人権が等しく保障される社会の実現を目指す行為として位置づけられます。
・ 多角的・多面的な思考
現代の複雑な道徳的問題(例:医療倫理、情報モラル、環境問題)を扱う際、生命と人権という二つの普遍的な軸があれば、多角的・多面的な視点から深く、かつ偏りのない議論を行うことができます。
「生命と人権の尊重」を道徳科の基盤とすることは、単なる美徳の奨励に留まらず、現代の地球社会に生きる市民として不可欠な倫理観を子どもたちに深く根付かせる教育の核となります。この基盤の上に立つからこそ、道徳科は、未来の予測が困難な時代においても、子どもたちが自他の尊厳を守りながら、幸福な人生と平和な社会を築くための確かな羅針盤を提供することができるのです。この普遍的かつ根源的な価値観を明確な前提とすることは、道徳教育の使命を達成するための最も強力かつ説得的な論拠となるでしょう。
次回、本編3「次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造 (2) 学習テーマによって内容項目を関連させる構成」
2 児童の発達段階をふまえた道徳科の学習~個と集団との関係と授業の在り様から~
2 児童の発達段階をふまえた道徳科の学習~個と集団との関係と授業の在り様から~
- 小学校段階の子どもたちの特質と現状
子どもたちを取り巻く教育環境においてに求められているもののひとつに、「豊かな心の醸成」があります。家庭や地域といった子どもたちを取り巻く生活環境において、子どもの心を鍛えたり、伸ばしたりする場が少なくなってきていることがその要因でしょう。人間は誰であれ不完全な存在という側面がありますが、だからこそ、今よりもよりよく生きようとする姿を求めることに大きな意味があると考えます。
教育において子どもたちを育てるためには、知識の伝達だけでは不十分です。「よりよく生きる」ことを、教師も子どもたちもともに考えていく中で、「自分がどう在りたいか」を考えていくことが教育の役割のひとつです。集団生活の場において、「相手を認め」「自分らしく」「強く」生きる力を子どもたちに育てていきたいと考えます。
子どもたちは、どの学年であれ、進んで働き、創意工夫のある活動に意欲的に取り組んだり、友達のことを気遣い、進んで声をかけ支え合おうとしたりするなど、多くのよさを内在しています。一方で、こだわりの強さから自己中心的な主張に終始してしまう姿、マイペースで教師や友だちの話を聞くことのできない姿が見られるのも、小学校段階の子どもたちの様相のひとつでしょう。落ち着いて学習や作業に取り組めなかったり、短絡的な言動から友だちとトラブルを起こしたりする子どもたちは確かに多いです。
しかし、それらの多くは、うまく自己表現ができないもどかしさから不適応状態を起こしているように思えます。実際、自らの思いを落ち着いて話す状況を整えるだけで、短慮な言動に至ることなくトラブルを解決できる子どもの姿をこれまで何度も目にしてきました。そして、そういった経験を繰り返すことで、子どもたちの自己肯定感や自己有用感、ひいては自らの居場所としての学級に対する満足度の向上にもつながることを、子どもたちの姿を通して実感し続けています。子どもたちは、変容と成長の機会に常に開かれている存在なのです。
- 発達段階をふまえた児童の成長に関する教師の願い
こういった小学校段階の児童の特質や現状を踏まえたとき、重要になるのは、児童・生徒の実態に対する教師の見取りと、それに対する教師自身の教育観です。児童・生徒の発達段階によって、つけたい力は自ずと異なるとともに、それに対する教師の具体的な支援の手立てや方策もまた異なるからです。
小学校低学年の場合、重視されるのは基本的な学力や基本的な生活習慣の定着でしょう。子どもたちは、小学校に入学しその生活に慣れていくなかで、どの子も「わかりたい」「仲間とともに楽しく充実した生活をしたい」という思いを強くしていきます。その思いを受け止めて、仲間づくりにしっかり取り組み、心を豊かにするとともに、学力の向上を図ろうとするのは、低学年担任がまず初めに考えることです。
中学年になると、自己中心の世界から、少し落ち着き周りとの共存へと目が向く時期となります。高学年児童の姿に学びながら、学校を担う力を培ことが期待され、中学年なりの自覚と誇り、責任と行動力、そして何より学ぶ力を育てることが求められます。そのために、中学年担任としては、子どもたちにとって居心地がよく秩序があり、ルールを互いに守りながら、温かく励まし合える学級を作りたいと考えます。
さらに高学年では、学校をリードし、自治的運営に参画する立場として、学校行事、委員会、クラブ活動など、果たすべき役割への周囲の期待が大きくなります。学校内における様々な課題に対して主体的に取り組もうとする子どもたちの姿を求めるため、高学年担任は日々の学校生活においても、問題解決的な思考をより重視することを考えます。
- 発達段階による道徳科の学習の在り様のちがい
学級経営を行う上で、児童の発達の段階や実態が異なれば、教師の行う具体的な支援や目指す子どもたちの姿も、それに合わせて違ってくるのが当然です。これは、道徳教育の中核である道徳科の学習においても言えることであり、小学校1年生の授業で用いられる手法や展開と、6年生は自ずと異なるはずです。
低学年では、登場人物への共感的理解による心情追求型の学習によって、基本的な道徳科の学びを確立しつつ、子どもたちの情操をより豊かにしていく授業が効果的であると考えます。
中学年になると、他者とのつながりが確かなものとなるように、ペアやグループなどによる学習活動を取り入れ、学級全体で納得解を創りあげるような授業が求められるでしょう。
そして高学年では、これまでの学年での学びを生かしつつ、現実の社会に目を向けることができるような教材を用いて、問題解決的な学習に取り組むことを増やしていきたいと考えます。
これまでの道徳の時間の学習では、小学校低学年から高学年、さらに中学校に至るまで、画一的な授業方法をとることが推奨される風潮がありましたが、学級経営との有機的な関連によって、道徳科の学習は多様性を帯び、より充実したものとなるでしょう。
これらの指導法の根底に流れるのは、多様性のある個で構成される学級集団に対する共感的理解を、具体的な活動を通して授業の中で実現するという考え方です。自己の生き方について、子どもたち同士が自由に意見を交流させる学び合いを取り入れれば、自分と考えの異なる他者の存在を肯定的に受け止めることができます。そして、道徳的諸価値を比較したり関連付けたりすることで、自分の見方や考え方がより多様に開かれるきっかけになります。また、具体的な道徳的行為や習慣を体験的に学ぶことも、多様な個性をもつ仲間と協働的に学ぶ場となるでしょう。
そして、道徳科の学習を、子どもたちの多様性に基盤を置いた協働的な学びとして位置づけ、実践を重ねることは、学級における親和性を高め、子どもたち一人一人の多様性を保障しながらも互いに支え合う集団へと高めていくための大きな力となることが期待できます。

次回、本編3「次期学習指導要領に求めたい道徳科の構造 (1) 道徳科の基盤としての生命と人権の尊重」
道徳科の学習におけるICTの活用について
次期学習指導要領改訂におけるポイントのひとつに、道徳科の学習におけるICTの効果的な活用が挙げられると考えます。
そこで、日頃お世話になっているICTに堪能な先生にご来校いただき、私の道徳科の授業をみていただきました。
GIGAスクール以降の数年、道徳科の授業でICTをどう活用することが求められるのかを、私なりに学んできました。現任校に赴任し、若手や中堅の優れた先生方の実践から学ぶなかで、ようやく「ICTをこう使えば、道徳科の授業が子どもたちにとってより一層機能するかもしれない」というものが見えてきました。来月の公開学習に向けて、この機会に専門家に検討していただきたいという目論見をもって、授業に臨みました。
教材は「心をつないだ合言葉」で、教科書以外の写真などを加えてPowerPointにまとめました。子どもたちにはBenesseのオクリンク+に4種類のシートを用意し、適宜配布できるようにしました。あと、終末で私がGeminiを使うようにしました。
導入では、「鳥取のすきなところ」をオクリンク+のシートに書き、該当のボードに投げてもらいました。シートをモニターに映しながらいくつかの意見を聞き、ワードクラウドで自分たちの考えの傾向をみました。
教材は前半を提示しましたが、その途中に震災の様子を象徴的に表す5枚程度の写真をオクリンク+で配布しました。教材の背景にあるものを視覚的に補完するために活用しました。
中心的な問いを「心身ともに辛く苦しいなかで、どうして「ファイト」が神戸の人々の合言葉になったのでしょう?」とし、考えを自由交流しました。「自分の考え」と「友達の考え」を記述できる2つのシートを繋ぎ、オクリンク+で配布しました。子どもたちはタブレットを片手に席を立ち、教室そこかしこで対話していました。私のところに話しに来た子の考えについては、その都度ポイントを黒板に記録しました。
子どもたちの対話がひと通り終わった頃合いをみて、記録したシートを中心的な問いのボードに投げてもらいました。ここで失敗したと感じたのは、2つのシートをセットにしたままボードに投げてもらったことでした。セットにしたものだと数が多すぎて、子どもたちのシートが縮小されすぎてしまい、全体が見えにくくなってしまいました。考えの全体共有が最優先ですから、「自分の考え」のシートだけを切り離してボードに投げてもらうべきでした。
ただ、「自分の考えをボードに投げて共有する」ことで、これまで道徳科の授業で必須のように為されてきた「発表する時間」を完全に省略することが可能となりました。その効用として、「心身ともに苦しい人に、それでも『ファイト』の言葉をかけるのは、余計につらい思いにさせるんじゃない?」と全体に向けて問いかけ、それについて考えを交流する時間を十分に取ることができました。
この教材での学習をふまえ、「鳥取のステキなところを、他の町の人に紹介するカードを作ろう」という活動を終末に入れました。このカードもオクリンク+で配布し、子どもたちなりに考えたり、調べたりしながらまとめていました。
最後に、「Geminiなら、どう答えるか」をモニターに提示しました。子どもたちは、「なるほど!」、「やっぱり!」とAIの示した答えに反応していました。「でも、砂丘にラクダがいるのは間違いないけれど、僕らは乗ったことないで!」というのも、3年生らしい微笑ましい反応でした。
視覚的支援、児童相互の考えの可視化と共有、それによる時間の短縮と効率化、個別最適な学びと協働的な学びといったあたりを道徳科で実現するための活用は可能だろうと改めて感じました。
一方で、道徳科の学びにおいては、クリティカルシンキングのための時間を確保でき、道徳科の本質としたい「知(価値観)の更新」に寄与できるのではないかと考えました。今後、さらに実践を積み上げて、道徳科で求めたい学びの様相に迫っていければと思います。
1 次期学習指導要領で求めたい道徳科における児童の学びの姿
(1)自ら考えることを楽しむ子ども
道徳科において「考える児童の姿」は、教材の内容や状況を自らが獲得している道徳的諸価値に照らして考えるという学びの作法を通して、初めて実現できると考えます。そのためには、これまでに学習してきた道徳的諸価値に関する知識や経験をもとに、教材に示された問いと向き合うことで、道徳的諸価値に関する新たな見方や考え方を獲得できるような学びが求められます。私はこれを、「知(価値観)の更新」と呼びたいと考えています。
「道徳科における「知識」の問題」については、本ブログ2023年9月7日の投稿において、実践事例をもとに考察しています。「特別の」とはいえ教科という枠組みで道徳科をとらえる以上、既習事項を生かして考えを深めるという教科教育の基本的なスタンスに則った枠組みを基盤としたいです。そうすることで、子どもたちが道徳科の中で、暗中模索するような問いに放り込まれてもがくのではなく、既習事項を活用すれば考えを見出すことができるという安心感のもとに自ら考えることを楽しむことができるでしょう。

(2)他者から学び、とともに成長しようとする子ども
道徳科において、他者から学ぶことを実現するためには、教師が提示する問いを厳選し、中心的な問いにおいて「自らの考えを自由交流する時間」を十分に確保することが必要です。
他者とともに成長する子どもたちの姿を求めるとき、道徳科の学習だけでそれを実現することは不可能です。まず基盤になると考えられるのは、親和的な学級経営による安心・安全な空間をつくることでしょう。そのうえで、他者とともに成長する姿が、道徳科においてはどのようなものであるかを示すべきだと考えます。
例えば、「自分とは異なる他者を攻撃して排除しようとするのではなく、互いのちがいを尊重し共に生きるための一歩を踏み出すこと」などの文言が解説編等に明示されることが必要ではないかと考えます。
(3)学んだことを生かし、自ら未来を切り拓いていこうとする子ども
学んだことを生かすためには、
(a)生かすための具体的な場や状況があること
(b)その場や状況に対して他人事ではいられない「自己」が確かに存在すること
という2つの条件が必要になることが多いと考えます。
現行の学習指導要領や解説に関する話の中で、「自分事」という言葉に出合うことが多いのですが、何をもって「自分事」であるのかについての規定や、詳述がなされた論文は少なく、その定義は曖昧であると感じます。安易に「自分事」なる造語を用いるのではなく、「他人事ではいられない自己≒当事者性」を、学んだことを生かすことの前提に位置付けるべきであろうと考えます。
また、未来を切り拓いていくという部分については、自身の利益と幸福のみを求めて、他者を顧みないのではなく、「より広く他者や社会全体を見据えた未来を見つめる姿」を求めていきたいと考えます。
次期学習指導要領で求めたい児童像として提起した、
(1) 自ら考えることを楽しむ子ども
(2) 他者から学び、とともに成長しようとする子ども
(3) 学んだことを生かし、自ら未来を切り拓いていこうとする子ども
の3つは、現行の学習指導要領で提示され、次期改訂でもその考え方は継承・発展されるであろう「主体的、対話的で深い学び」に道徳科における学びと児童像を対応させようと試みたものです。
道徳科は、従来の「読み物教材の感想文」中心の授業から脱却し、「考え、議論する道徳」を目指しました。この「議論する」という要素は、「主体的・対話的で深い学び」の「対話的」な側面に非常に近いといえます。このため、道徳科が「主体的・対話的で深い学び」の要素を先取りして取り入れた、あるいは、道徳科の試みがその後の全教科の授業改善(主体的・対話的で深い学び)に影響を与えたと解釈されることもあります。しかし、特別の教科 道徳の学習指導要領は、教科化という事情のため、他に先んじて改訂されたため、先行実施された道徳科の形式が、後から来た全教科共通の柱に引きずられた感が否めないことは事実です。
次期学習指導要領でも、「何を学ぶか」(知識・技能)だけでなく、「どのように学ぶか」(資質・能力)がより一層重視されることを考えたとき、上記の3点を道徳科における求めたい児童像として提示する必要があるのではないかと考えます。
次回、本編2「児童の発達段階をふまえた道徳科の学習~個と集団との関係と授業の在り様から~」
【予告】今、道徳教育で求められる教育内容とは ―次期学習指導要領(特別の教科 道徳)の改訂に向けて―
次期学習指導要領改訂に向け、中央教育審議会の教育課程部会において、各教科等のワーキンググループが開催され始めました。ただ、道徳ワーキンググループだけは、会議の予定どころか、グループを構成するメンバーすらオープンになっていない状況(令和7年11月11日現在)です。道徳科に関わる方々にお話を伺っても、「状況が全く分からない」、「改訂の方向性どころか、本気で改訂をするつもりなのかどうかも見えてこない」といったリアクションしか出てこないというのが現状です。
※追記:このブログをアップした直後、道徳ワーキンググループの第1回会議の予定が明らかになりました。令和7年11月25日に開催されるようです。
前回、領域であった道徳の時間を特別の教科 道徳(道徳科)に改訂したことは、確かに大きな変化でした。しかし、その改訂によって見えてきた課題や検討すべき点は、教科化以前よりもさらに増加したように思います。前回の改訂で、教科という枠組みに移行したからこそ、枠組みだけでなく道徳科の内実をそのものにも手を加えていかねばならないのが、今回の改訂なのだと考えます。しかし、現実はその逆を進もうとしているように見えてなりません。もし、「前回大きく変えたのだから、今回は現状維持で……」と考えているのだとしたら、道徳科の現状をあまりにも楽観的に捉えているとしか思えません。
私は前回の改訂後に、「教科という枠組みに移行したのだから、もしも道徳科が領域であった時代の道徳の時間の構造から脱却できず、旧態依然としたままであれば、次の次の改訂のころには、PBL×DEI(社会課題を扱う探求学習)や本質看取に主眼を置いた哲学対話に取って代わられ、道徳科はなくなるだろう」と危機感を訴え続けてきました。そして、単に批判するだけではなく、目標や内容の在り方など、道徳科の改善すべき点について提案してきました。直近では、日本道徳教育学会 第105回 国士舘大学大会でのシンポジウム「今、道徳教育で求められる教育内容とは ―次期学習指導要領(特別の教科 道徳)の改訂に向けて― 」での提言がそれにあたります。このシンポジウムでは、小学校、中学校、大学研究者、文部科学行政経験者の4名がそれぞれの立場で報告しました。それらの報告をまとめて整理するだけでも、教科としての道徳の制度設計が、相当な範囲で可能であることが明らかでした。
行政職でも管理職でもない地方の一教諭が、次期学習指導要領の改訂に公的に関わることなど、およそ現実的ではありません。おそらく意見聴取の機会を与えられることすらないでしょう。(行政とはそういうものです)ただ、この状況を座して待つことを許せない自分もいます。
そこで本ブログにおいて、「次期学習指導要領はこうあって欲しい」という考えを、少しずつアップしていこうと思います。大きすぎるテーマだけに、すべてを網羅して述べることは困難ですし、更新もこれまで同様に不定期なものにならざるを得ないと思いますが、日本道徳教育学会のシンポジウムで報告した内容をもとに、少しずつ加筆修正したものをアップしていきたいと考えています。
※なお、本ブログの内容の無断引用や剽窃は厳に対処いたします。
(業績の乏しい実務家天下り大学教員のモラルのない所業に辟易としておりますので)
次回、本編1「次期学習指導要領で求めたい道徳科における児童の学びの姿」
鳥取県東部地区における、道徳科教科書採択過程への疑義と諦念
【採択結果への疑義ではありません。議論の過程の杜撰さに疑義があるだけです】
まず、私は、現在の職を賭すくらいの思いで投稿しておりますのでご承知ください。
令和6年度から使用される教科書の採択結果等が公表される時期となりました。自分が道徳科の教科書を編集・作成していることもあり、次年度以降の教科書を、自分の地域ではどのような過程で採択しているのかについて確認をするようにしています。以下のリンクに会議録がアップされています。
第2回 東部地区教科用図書採択協議会会議録(要旨)に、各教科の調査報告と協議の内容が書き上げられています。
p.22からの「道徳」を読み、内容を確認しました。採択の結果は、これまでの教科書会社のものを引き続き採択するということで、「まあ、そうなるのだろうな」と特に驚きはありませんでした。
ただ、調査員からの報告とそれに基づいた協議内容には、疑問を抱かざるを得ませんでした。
二点ある中の一点目は、「鳥取を取り上げた教材について」です。調査員の報告の中で、委員から「鳥取県の教材を使っているところは○○(教科書会社名)だけだったか」との質問に対し、調査員は「はい。委員で見たときはそうだった」と答えています。
これは事実と異なります。私が作成した教科書には、「一木一石運動~自然保護運動の先駆け」という教材を来年度から掲載するようにしています。鳥取県民なら、ましてや教職員なら、「一木一石運動」と聞いて鳥取県大山を扱った教材だとわからない者はいないと考えます。複数名の調査員すべてが、この事実を見落としたということでしょうか?それとも、別の意図があってのことでしょうか?いずれにせよ、私が作成した鳥取県を取り上げた教材は、調査員の報告では存在しなかったこととされたというのが事実として記録に残されたわけです。
この報告を受けてなされた協議でも、「○○(教科書会社名)は、鳥取の教材が使用されており……」、「鳥取の教材は○○(教科書会社名)かなと」、「教科書で鳥取の題材が使用されることはそんなに見かけない」という事実誤認に基づいた調査報告によって議論が進行されています。
もう一点、協議の中で、「(○○は)県内の元校長も執筆者の一人。県内の人間が作成に携わったという意味でも……」と、教科書編集委員に県内関係者がいることを理由に挙げています。私の携わる教科書会社は、私も含め複数名の地元の教育関係者が執筆・編集に携わっています。もちろん(あまり気は進まないのですが)教科書の奥付にも学校名と氏名は記載していますし、教育委員会には教科書の執筆・編集に関わる兼業届も提出して受理されています。そのうえでこの協議内容ですので、私は鳥取市の教育関係者として認知されていないのか、私が教科書編集に携わっていることに些かの価値も見出していないのかのどちらかだと捉えざるを得ません。
繰り返しになりますが、採択結果に一切の反論はありません。どの教科書であれ、使いこなしてみせるのが担任教師の本分です。
しかし、教科書調査員の杜撰な調査、それに基づく偏った情報による協議内容については、疑念を抱かざるを得ません、それが、教科書作成と編集に携わる者の矜持だと考えます。ましてや、自分が現在勤務している自治体がこのあり様では……
未来を創る子どもたちの教育の基盤となる重要なツールのひとつが教科書であると考えます。そこに関係するすべての人が、真摯に職責を全うする思いで取り組んでいただくことを切に願います。
(なお、以下のリンクに掲載されている全ての文書は、保存済みです)
なお、以下のリンクは、隣接する自治体の教科書採択過程とその結果です。
誠実な調査報告と協議の過程が本当によくわかります。私の携わる教科書は採択されていませんが、その判断はそれまでの過程の公明正大さから、全く疑義を挟む余地はありません。こういった調査と協議がなされている教育委員会の方々、調査員や採択委員の先生方に敬意を表します。
先の自治体と比べ、まさに「雲泥の差」と呼ぶべきものです。