「登場人物への自我関与が中心の学習」に思うこと

 文部科学省が取りまとめた、「「特別の教科 道徳」の指導法と評価について(報告)」の中で、考え、議論する道徳の推進に向けて、「問題解決的な学習」や「体験的な学習」と並んで提示されているのが、「登場人物への自我関与が中心の学習」です。


 この指導法、気を付けないと、従来の「心情の読み取りに終始する学習」と何も変わらないといった状況を生んでしまうことになります。ポイントは、パターン例として提示されている「教材を読んで登場人物の判断や心情を類推することを通して、道徳的価値を自分との関わりで考える」という文章をどう考えるかということです。

 

 自分の生活経験と重ねると言いながら、「自分はこう思うから、登場人物もきっと同じだろう」という認識しかもてないようであれば、それは不十分な自我関与だと言えるでしょう。
 例えば、登場人物の生き方を深く知ることで、自分の経験の外にある事柄であっても、「自分とは全く違う考えだが、この人ならきっとこう考えるだろう」といった思考や判断も、自我関与が中心の学習では必要になると考えます。
さらに、学級という多様な経験をもつ集団での学びを通して、自分とは異なる経験をもつ他者と、「なるほど」と頷いたり、「いや、そうだろか」と疑問を抱いたりしながら、互いの共通了解を見出すことができるような意見交流が求められるでしょう。

 

(少なくとも、小学校高学年以上では、)登場人物に自己を投影し、自らの写し鏡として登場人物の生き方を語るだけでは、行き過ぎた自己の考えへの固執と他者理解の欠如に終始する可能性が高く、道徳性の成長の観点からすると、物足りない学習となってしまいます。登場人物の状況や取り巻く環境などを整理して、自分のなかに落とし込んだうえで、登場人物と自分とを重ねたとき、「なぜその判断や行動がとれるのか?」について、たとえ自分の経験の外にあるような出来事であっても、考えを及ぼそうとすることこそが、「登場人物への自我関与」だと考えます。

 

 この学習で大切にしたいのは、登場人物の生き方を具体的な事実(道徳的判断や心情に至るために必要な客観的情報としての知識)に基づいて理解し、生き方を支えた思いについて(道徳的諸価値についての知識に基づいて)多様な側面から考えることと、自分と同じように登場人物に自己を投影して語る他者の意見を受け止める態度、その実現のための対話的な活動です。これらに留意して学習を構想すれば、子どもたちそれぞれの自我関与の総和としての内容項目の深い理解と、自らの生き方についての考えを深める道徳科の学習が実現できます。