道徳科における「知識」の問題を検討する~「もったいない」の授業を事例に~

この十数年の道徳の時間と道徳科の学習において、いかなる文脈においても「知識」という言葉を用いて何かが語られることは、皆無といってよいでしょう。道徳科と知識とを結びつけることがあえて避けられている背景には、「価値の教え込み批判」を回避したいという道徳教育に関係する人々の意識があるように思います。代わりに「道徳的価値の理解」という言葉が繰り返し用いられているのが現状です。

道徳に関わる「知識」については、1970年~1990年ごろまでの書籍には「道徳的知識」という言葉が示されているものが多くあります。このブログでの詳細な言及は避けますが、道徳的知識を3種に類別した論考もあります。また、近年では、『道徳教育はこうすれば〈もっと〉おもしろい』(北大路書房)において、道徳科における知識の在り様についての言及がなされています。

単なる判断や心情ではなく、それが「道徳的」であるためには、子どもたちの道徳的諸価値及び探求のための教材に関わる知識を基盤としなければ、道徳的諸価値の理解へと深めていくことも、道徳的判断や道徳的心情を培うことも難しいと考えます。換言すれば、この営みによる人間性の向上によって、「知識」は「知性」へと昇華するのではないでしょうか。そこで、道徳的諸価値に関する基盤となる知識と、教材に示された事象に関する客観的事実としての知識とが、道徳科の学習にどのような影響を与えるのかについて、人物に焦点を当てた現代的諸課題に関する授業実践を通して検討したいと思います。

 

授業の具体に基づいた検討

「もったいない」(『新・みんなの道徳5』学研教育みらい)

 

まず、本時の授業を構想するにあたって、教材分析を行いました。本時の内容項目は『自然愛護』なので、学習指導要領解説編の該当部分を読み、これまでの子どもたちの道徳的価値の理解の想定と、高学年として踏み込んでいきたい内容とについて考えました。
具体的には、中学年までの道徳的価値についての理解を「自然や動植物を大切にすること」と「自然を守ることで自分たちの生命も守られていること」の2点とし、高学年における道徳的価値の理解を「自然環境にかかわる課題の理解の上に立って、自主的、積極的な環境保全への意欲と態度を培う」ことと想定しました。
そのうえで、教材の構造と内容、それらに付随する客観性の担保された事実について検討し、授業を構想するにあたって必要な要素を抽出しました。私が本時の学習で、「マータイさんの自然愛護の精神を共感的に理解するために必要な要素」と考えたのは、以下の5点です。

① マータイさんの生涯の概要
② ケニア政府が森林を伐採してまでコーヒー栽培を推進した理由
③ 森林伐採によるケニアの人々への影響
④ 過酷な労働と生活の実態
⑤ 「グリーンベルト運動」の目指したもの

①は、この教材を用いて学習のための前提としての知識。②~④は「自然愛護」の内容項目について、高学年の学習内容として成立させるために欠くことのできない具体的事実としての知識。⑤は、「自然愛護」の内容項目に含まれる道徳的価値の理解のために必要な要素としての知識と考えました。
これらの知識の様相に基づいて、各種の知識を効果的に授業の中に配置し、それらの知識を基盤として道徳的価値の理解を深め、道徳的心情や実践意欲と態度を育てることを志向する授業として構想しました。

 

導入では、「もったいない」という言葉をどんな時に使うかをたずねました。
「何かを残した」、「捨てた」、「むだにした」といったことが、子どもたちのイメージとして共有されました。そこで、自然保護運動に取り組み、「MOTTAINAI」を世界に紹介したワンガリ・マータイさんの生き方をもとに、「自然を守るのは何のため?」というテーマを設定して学習を進めることにしました。

 

まず、マータイさんの生涯を概観する3つのプレゼンシートを提示しました。そのうえで、「あなたは、マータイさんの自然を守り再生しようとする姿についてどう思いますか?」と問いました。

 

マータイさんの生涯を概観する①の知識だけを得た段階では、これまでの道徳科の学習で獲得した「自然愛護」に関する道徳的価値の理解に基づいた考えが、子どもたちから表出されるだろうと想定した問いです。


子どもたちは、「自然を守るのはいいこと」、「すごい」、「やさしい」、「自然を守ることで、動物の命も守られる」、「自然の豊かさや美しさ、大きさを守りたいという意思の表れ」といった考えが出されました。これらは、中学年までの「自然愛護」という内容項目における道徳的価値の理解をもとにした考えです。そのなかで、「学業に優れていて留学までできたのだから、安定した生活ができたはず。なのに、なぜ自然保護活動に取り組んだのか?」という疑問が数名の子どもたちから出されました。

 

そこで、ケニア政府が森林を伐採してまでコーヒー栽培を推進した理由と、森林伐採によるケニアの人々への影響、過酷な労働と生活の実態という②~④までの情報を提示し、その状況のなかで自然保護活動を始めたマータイさんの考えをプレゼンシートで伝えました。
そのうえで、先ほどと同じ問いをもう一度子どもたちに問いかけました。


子どもたちが②~④までの情報を知識として得たうえで、同じ問いを重ねることで、中学年の内容から高学年の「自然愛護」の内容にシフトして考えを深めるための基盤となることを期待した構成です。

 

子どもたちからは、「他者を優先し、人のことも動植物のことも考えて、自然環境をもとに戻そうとする姿がすごい」「きっと自然保護への使命感があったのではないか」といった内容とともに、「最初の問いのときは、単に意志や気持ちの問題と考えていたが、もしマータイさんがいなくなってもこれからの人が続けていけるようにという責任感や義務感があったのだと思う」といった自然保護活動の持続可能性についても意見が出されました。「まさに、これってSDGsですね」と表現した子どももいました。

 

最後に、「グリーンベルト運動」の目指したものについて、マータイさんの実際の言葉を伝え、「マータイさんの言葉から、自然を守るのは何のためだと考えましたか」と問いました。

 

ここでは、「自然愛護」の内容項目に含まれる道徳的価値の理解のために必要な要素としての知識⑤をもとに、本時の学習での自分の考えを見つめ直すことで、道徳的価値の理解を基盤とした心情や実践意欲と態度に至るのではないかと考えて、最後の問いを設定しました。

子どもたちは、互いの考えを交流することで、「人、自然、すべての生き物の命を未来へとつなげていくため」という本時のテーマに対する納得解を紡ぐことができました。そして、その心の根底にあるものが、自身の欲ではなく、本気で自然を守り抜きたいという意志であるということにも気付くことができました。


道徳科の学習における知識の様相とその在り方を、具体的な授業を通して検討することを試みました。道徳科を教科教育学として俎上にのせることを志向するならば、「知識」の問題を避けて通ることはできないということを、本実践だけでなく、他の実践についても考察を加えながら明らかにしていきたいと考えています。