自覚と無自覚の狭間 ~『内容項目』と『価値項目』~

そもそも『内容項目』とは?

学習指導要領総則には、「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の内容は、第3章特別の教科 道徳の第2に示す内容とする」とある。そして、そこには、「道徳科においては、以下に示す項目について扱う」とある。つまり、道徳科の「内容」をいくつかの「項目」に分類して示し、学習で取り扱うことから、『内容項目』と呼ばれているのである。22項目で表されたこの『内容項目』は、学習指導要領に示された正式な用語であり、道徳の学習指導案においても、「本時の学習の『内容項目』」を明示することが一般的である。

 

では、『価値項目』って?

一方で、『価値項目』という言葉も頻繁に見聞きする。用例等を見ていると、『内容項目』のことを『価値項目』と呼んでいるようである。そして、この2つの言葉を同義なものとして扱ってよいのかどうかについては、残念ながらまったく無自覚なようである。教育のプロである教師の姿勢としてはいかにも残念であるが、一方でこういった用語の混乱を整理し、敷衍することのできない行政の上層部や研究者たちの姿勢や力量も大いに問われるべきだろう。そもそもこのような混乱はなぜ生まれたのか、そして2つの言葉のもつ意味合いはどのようなものなのか・・・自分の考えを整理しておきたい。

 

なぜ『内容』と『価値』が混同されるに至ったのか

そもそも、これまで行われてきた道徳の時間の学習にかかわる用語には、『価値』のついた言葉が大変多く用いられてきた。『価値の明確化』、『価値の一般化と類型化』、『価値葛藤』など、枚挙にいとまがない。

そのなかでも極めつけは、『道徳的価値の自覚』であろう。この言葉、教師であるならば、道徳の時間の学習に対する実践や研究の深浅にかかわらず、広く深く認識されている言葉といってよいだろう。

この言葉が登場したのは、平成10年12月告示の『学習指導要領』である。道徳の時間の目標の説明文に『道徳的価値の自覚を深める』と書き加えられたのである。この追加には、当時の道徳の時間の学習を取り巻く課題があった。道徳の時間において「人間としての在り方や生き方について学び、道徳性を育成することに資する学習を行う」という役割は、昭和33年に特設されてからこれまで、基本的に変更はなされていない。ところが、特設から40年以上を迎えようとしていたこの当時ですら、道徳の時間を「学級の問題について指導する時間」や「学校行事等の計画や実施の時間」に振り替えられたり、内容項目についての教師の一方的な教え込みに終始したりしていた。そこで、こうした事態を改善するために、『道徳的価値の自覚』という言葉を加えたのである。そして、道徳の時間の学習において、「道徳的価値を理解し、自覚を深め、自らの生き方に返して考える」ことを明確にしたのである。

こうして、『道徳的価値の自覚』という言葉が一躍注目を浴びることとなった。ところがここで、『道徳的価値とはそもそも何を指すのか?』という疑問が浮かび上がった。なぜなら、学習指導要領及び解説には『道徳的価値とは〇〇である』と具体的に明示されてはいないからである。唯一の手掛かりとなるのは、「内容項目は、子どもたちが自覚を深め自分のものとして身に付け発展させていく必要がある道徳的価値を含む内容を、短い文章で平易にあらわしたものである」という文章である。

以下は予測であるが、この文章を読んだ人間が『内容項目』=『道徳的価値』と考えても不思議ではない。それが、『内容項目』→『道徳的価値に関する項目』→『価値に関する項目』→『価値項目』となったのではないだろうか。この誤用(あえてこう断言するのだが)は、おそらくは小中の教育現場発のものであろう。先に述べたように『価値』とつく用語が整理されぬまま氾濫していた状況の中で、そういった言葉の一つとして疑問を抱かれることもなく、むしろ、『道徳的価値』という曖昧に思える言葉を補完するものとして用いられた可能性が高いからである。

 

『内容項目』と『価値項目』は同義か?

たとえ誤用であったとしても、『内容項目』と『価値項目』とが同義であるならば、より意味の通じるものを用いればよいだろう。しかし、本当に同義なのか?答えはNOである。なぜなら、『内容項目』は、「そのなかにいくつかの道徳的諸価値を含むもの」だからである。

具体的な例を示すとわかりやすいだろう。学習指導要領では、『内容項目A-3 節度、節制』について、以下のように書かれている。

「(第1学年及び2学年)健康や安全に気を付け,物や金銭を大切にし,身の回りを整え、わがままをしないで,規則正しい生活をすること」

お分かりだろうか。この『内容項目A-3 節度、節制』には、『健康安全に暮らす』、『無駄遣いをしない』、『掃除、整理整頓を行う』、『時間を守って行動する』など多様な道徳的価値が含まれているのである。つまり、「『内容項目』とは、道徳的諸価値を括ったまとまり」と捉えることが適当である。換言すれば、「『内容項目』は道徳的諸価値を包含している」となるだろう。

もし、あえて『価値項目』としたいのであれば、それは、「内容項目をさらに細分化し、そのごく一部である道徳的価値に焦点を当てた実践を行う」という教師の自覚のもとに行われるべきだろう。

 

言葉一つで問われる、プロの教師としての認識

「たかが言葉、されど言葉」である。探求の主体である子どもたちを育てようという教師たちが、自分たちが普段用いる言葉の持つ意味に対してあきれるほどに無自覚なのは、残念なことである。ただ、この『自覚と無自覚の狭間」が示しているものは、教育書籍の1冊すら読む余裕のない過酷な労働環境の中で、日々奮闘せざるを得ない教師たちの現実でもある。

現場の教師たちに届き、その実践を質的に高めることができるような道徳教育論を・・・研究者、実践家、教育行政の責任は大きい。